





徳川幕府が一国一城制を厳守させた時代、薩摩藩では知覧を含む113の外城をおき、防備を兼ねた城塁型の武家屋敷群を造り、人をもって城となす軍事行政上の拠点でした。庭園は京の庭師に造らせたとも伝えられ、母ケ岳の優雅な山容を取り入れた借景庭が多いです。母ケ岳の優雅な姿を取り入れて、麓一帯を庭園化した美しい町並みで、現在に残る武家屋敷群は第18代知覧領主島津久峯の時代に造られたものであり、古来より「薩摩の小京都」とたたえられています。
武家屋敷群の18.6haは昭和56年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、7庭園は国の「名勝」に指定されており、7庭園のうち森氏庭園は池泉水式庭園で、他の6庭園は枯山水式庭園となっています。
江戸末期文化文政時代(1804~1829)の作庭と伝えられています。
庭園は主屋の南に開け、東南の隅に枯滝を組み三層石塔を配しています。
庭の南東部の隅に枯れ滝の石組みを設けて高い峰とし、この峰から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現しています。
また、鶴亀の庭園ともいわれ、一変して高い石組みは鶴となり、亀は大海に注ぐ谷川の水辺に遊ぶがごとく配され、石とさつきの組み合わせが至妙な庭園です。 【庭園の中で】 この庭園の造りは、掛軸によく見られる中国で発達した山水画を参考にしているものと思われます。
この地域の庭園の特色は、外塀の代わりにイヌマキを植え波状に大きく刈り込んで、それを背景にその手前に石組みによる庭が造られています。
また、この庭園は、庭園の一番奥に石を高く積み上げ、イヌマキと同じように左右を徐々に低くし、遠近の方法で石組みによって遠くの山や岩、滝、川といったものを表現し、最後は大海に見たてた庭園流れ込むという手法をとっていますが、こういう石組みによる方法を枯れ山水といいます。
こういう門からの入り方やイヌマキの刈りこみ方、石組みの方法などは、この薩摩地方特有のものだそうです。
石組みの所々に置き灯篭や層塔が立っておりますが、琉球によく見られる手法です。
このような作庭は、室町時代の中期に、禅宗の書院などに小庭様式として成立したといわれています。
この庭園に『旧西郷邸』がございます。邸内は表千家の澤井先生のご指導により、毎月お茶会が催されています。知覧のお抹茶を頂きながらの眺める庭園は贅沢そのものです。お茶会で使用されるお抹茶は無論、知覧の自然の中で有機栽培(オーガニック)にて栽培された、とても深みのある大和園製の「雅の翠光」です。